第2回 地産地消 旬のもの、パートナーの選択

地産地消、旬のもの

春先はタケノコ、五月は初鰹、秋は柿、リンゴ、栗、冬になると大根、ぶりなど、我が国は四季折々の幸に恵まれている。旬のものは栄養豊富であり、美味しく感じる。交通の発達した現在、私たちは世界中の食べ物に接することができるが、子供の頃から慣れ親しんだ地元でとれたものには言葉では言い表せない美味しさが詰まっている。

味には、「甘味」、「苦味」、「酸味」、「塩味」、そして我が国で発見された「旨み」がある。旨みとは鰹節などの旨み成分(グルタミン酸など)である。これらの味は味蕾に存在している「味覚受容体」によってキャッチされ、脳へとシグナルが伝達され、味として認識される。喉越しのうまさ、爽快感などを感じる仕組みが解明される日もそんなに遠くはないだろう。
甘み、旨みは好まれるが、苦みは避けられる。私達の身体にとって良くないもの、危険なものを苦みとして識別出来る能力を有しているか否かは生き残る上で必要不可欠であるが、旨み・甘みは生存の上では、大きな意味を持っていなかったのであろうか。甘み、旨みに対する受容体の数は苦みよりもはるかに少ない。

「香り」に引き寄せられて、暖簾をくぐることも多い。鼻をつまんで食べると味が分からなくなるので、味の識別に果たす「匂い」の役割は大きい。さらに、器にきれいに盛られている食べ物は美味しく感じることから、「視覚」も大事だ。日本料理の職人さんから、本来の味を引き出すためには、素材を吟味し、心静かに耳を傾け、色々と工夫を重ねていくことが大事であると伺ったことがある。料理には、料理人の思いも詰まっているのである。

摂取された食物が私達の体内に吸収されるためには、胃腸で吸収されやすい形にまで分解さることが必要である。この分解の過程には、胃や腸から分泌される「消化液(酵素)」と共に腸管に棲み着いている「腸内細菌」が働いている。私たちの身体を形作っている細胞の数よりも多い細菌が私たちの為に働いてくれている。腸管に存在している味覚受容体が分解産物であるアミノ酸などに結合すると、周りの細胞を活性化し、糖やアミノ酸の吸収が高まると言われている。

抗生物質の濫用、極端に清潔な暮らしを続けていると、腸内細菌のバランスが崩れ、アレルギー、自己免疫疾患、肥満、動脈硬化などの生活習慣病に繋がることが明らかにされつつある。腸内細菌は母親から受け継ぎ、摂取する食物によって維持されている。従って、地元でとれた旬のものは、私たちの腸内細菌の好物であり、身体にやさしい食べ物である。このような観点を踏まえ、食生活のバランスを考えたいものである。

パートナーの選択

晩婚化、少子化が進んでいるが、人はどのようにして一生のパートナーを選択するのであろうか。身長や体重などの見た目、スポーツ活動、やさしさや思いやり、収入、思想など・・・。生まれた境遇、周りの状況などによって異なるので、異論もないわけではないが、人は異なる「MHC(主要組織適合性抗原複合体)」由来の臭いに惹かれ、子孫を残したいと感じるという興味深い報告がある。これまで人類は相手を魅了する「香水」を求めてきたが、この説が正しければ、万人に当てはまる香水は存在しないことになる。

MHCはヒトでは白血球抗原(human leukocyte antigen、HLA)に相当し、移植された臓器の適合性を決めている因子として発見された。MHCが異なる臓器を移植されると、免疫細胞は激しく攻撃し、移植片を排除する。MHCは多様性に富み、その生理的な機能はT細胞へ抗原を提供することである。つまり、MHCは免疫反応や疾患に対する感受性を支配している「免疫学的な自己」を決定している分子であると言える。

父親由来、母親由来のHLAは細胞表面に両方共に発現しているので、異なるMHCを有するカップルが子孫をつくると、MHCの多様性が増加し、集団として感染症に対して抵抗性を持つようになる。古来、粋な「東男」にたおやかな「京女」が似合いのカップルであると言われてきたが、MHCの多様性という観点からも妥当な見方であると言える。

ウィルスの中には、インフルエンザやヘルペスのように、変異ウィルスを多数生み出すること、また免疫系のプレイヤーに似て非なるものを生み出すことによって免疫系から回避し、生き残るチャンスを高める戦略をとっているものもいる。しかしながら、エイズウィルスに感染した人の中で、エイズに発症しないグループが存在していることから、多様なMHCを有する集団ではこのような微生物の戦略に対して十分対抗できると思われる。

遺伝子は匂いという仕掛けを利用して、集団として多様なMHCを構築し、感染症に対する抵抗性を獲得しているようだ。「私たちはDNAの乗り物にすぎない」という、動物行動学者である「リチャード・ドーキンス」が提唱した、「利己的な遺伝子」を思い出した。自由意志、個人の尊厳、博愛精神をもつ個人も、生物学的には次世代にバトンタッチする「乗り物」であるという考えは新鮮だ。

この世に生を受けると、わくわくする、心ときめく瞬間があるが、人は老い、病気、そして死を避けることはできない。人は多面性をもち、しかも状況に合わせて思考や行動も刻々変化する故、悩み事、思うようにならないことも多い。生物学的には、延々と続くリレーの一員であるという視点に立ち、縁によって結ばれたパートナーに対する思いやりをもつことによって、人はより豊かな人生を送ることが可能となる。

とだ優和の杜
統括事業責任者
水口 純一郎