第4回 第3回優和セミナー

第3回 とだ優和の杜セミナー 「先端医療だけで人は救済できるか? 医療・介護の現場に求められる宗教の重要性」

「東北大学特任教授」そして「浄土真宗本願寺派 参与;本願寺医師の会 会員」として多方面で活躍されている清元秀泰先生をお招きし、9月11日(月曜日)夕方6時より「第3回優和の杜セミナー」を開催しました。タイトルは「先端医療だけで人は救済できるか?医療・介護の現場に求められる宗教の重要性」である。先端医療は不治の病の治療に貢献してきたが、その限界も指摘されている。一方、既存宗教の活力は失われつつあるとの声も聞く。私達は日頃、医療と宗教を関係づけて考える機会に乏しい。今回、自らの体験を交えて、医療と宗教の関係性を分かりやすく説明して頂いた。

人は「生」をうけると、「老い」、「病」、そして「死」という四つの「苦」(四苦)を避けることはできない。この避けることができない、意のままにならない「四苦」と向き合い、一生を送る術を「仏陀」は模索した。その教えが「仏教」である。世の中は意のままにならないもの、不条理なものであるということは頭では分かっているが、私達が実感するのは、災害(天災、人災)や病気など不幸に出会ったときであろう。

1.17阪神・淡路大震災、9.11ニューヨーク大参事、3.11東日本大震災を通して、自然の脅威、人間のもろさを実感した。しかしながら、地元の方々の復興活動、救急隊員の活動が続く中で、人はもろい、か弱い存在ではあるが、主体的に生きていくという強い自覚を持った存在であると感じるようになった。このような不幸は私達の周りで一定の割合でおこるが、なぜその人に起こるのかは説明できない。

このような事態に遭遇したとき、人は見えない力によって生かされている、支配されてというような感覚を持つのではないだろうか。「仏教」では、このような超自然の力を「阿弥陀仏」の計らいと感謝し、自分なりに精一杯生きることによって、人生はより豊かなものになると説いている。世の中は無数の関係によって成り立っており、困ったときは「お互いさま」と助け合って生きてきた。今日の生業ができているのは、多くに人の支援によって成り立っていると感謝する心(お陰さま)を大事にしてきた。施設における介護・看護サービスの在り方、効率的な運営にもこのような「お互いさま」「お陰さま」という心を忘れないようにしたいものである。

高齢者では、末期の悪性腫瘍に対する化学療法はあまり効果が期待できない(国立がんセンター)。人は死を避けることはできないが、どのように死と向き合うか、どのようにして生を終えるかについては、「先端医学」は答える術をもっていない。西洋ではチャプレンが心のケアを担当しているが、我が国においても終末期の患者の心の相談に応じることができる人材が必要であるとの視点に立ち、東北大学に「臨床宗教師養成寄付講座」が創設された。

どのようにして人の病を治療、予防するかを考え、実践するのが「医学・医療」であり、人生の意味を考察するのが「宗教・哲学」であるなら、両者は互いに補い合う関係にある。「仏教」というバックグランドを持ち、「ゲノム医療」という「最先端医学研究」に従事し、さらに東日本大震災の際に「救命救急業務」を担当された貴重な経験をお持ちの清元先生をお迎えし、生と死に横たわる根本的な問題を考える時間を共有できたことは幸せであった。今後、介護・医療・福祉の分野における実践、そして明日からの日常生活を考える上で貴重な時間となった。清元先生のますますのご活躍を祈念します。

社会福祉法人 優美会
特別養護老人ホーム とだ優和の杜 理事
水口 純一郎